跳躍しながら発射された火箭が、出力急降下《パワーダイブ》する青鈍色《あおにびいろ》の翼を穿つ。
傷つくことにかまわず高速で迫る翼がギッギッと笑った。
「そこまでだ小僧、次のコッキングよりも、我が翼のほうが迅《はや》い」
回転式拳銃は、撃鉄《ハンマー》を引き起こすコッキング動作を行なわなければ、弾丸を発射できない。親指を使ってコックするか、または銃を握っていないほうの掌《てのひら》を用いるか、どちらにしても、引き金《トリガー》を引く前に撃鉄を起こすことは、拳銃からの弾丸発射において必要欠くべからざる操作であり、それには一拍以上の間《ま》が要される。
疾風が詰襟學生服に急接近した。
青鈍色《あおにびいろ》の翼以外は光を寸分も反射せず、ごく間近に迫るまで、その全身像は定かではなかった。
「ギギッ」大蝙蝠《おおこうもり》だ。
正しくは蝙蝠悪魔《Bat Demon》だろう。体躯《たいく》は人間に酷似《こくじ》するものの、両腕の代わりに飛膜じみた巨大翼が伸び、西洋兜《せいようかぶと》のスカルキャップを思わせる頭部、深く窪《くぼ》んだ眼窩、そして、大きく拡げられる口内には犬歯《けんし》だけが林立している。
今しも學生服の詰襟に嚙みつかんとするその牙の奥から重い呼気が漏れた。
蝙蝠の喉元に接する銃口が閃光していた。
「ギッ、早撃ち《quick draw》だな……だがっ……」
吐息ならぬ硝煙《しょうえん》を口から零《こぼ》しつつ、なおも牙が迫る。
撃鉄が弾丸底部の雷管《プライマー》を叩く音が連続した。
発射火薬《ガンパウダー》が続けざまに爆発し、弾頭《ブレッド》が銃口から連射される。その強烈な発射リコイルで銃身《バレル》が大きく跳ね上がり、學生服に密着寸前であった大蝙蝠の身はさらに大きく跳ね上がって後方へ吹き飛んでいた。
「ギ、ギァ、なぜ、続けて撃て……る……」
「コルトライトニング」
木製グリップが握り直され、輪胴《シリンダー》の装弾口が開かれる。
「そのカスタムだ」
シリンダーを廻して、一発ずつの排莢と装弾を行ないながら、ライドウは地で蠢く大蝙蝠にゆっくりと歩み寄っていた。
「ギッ、稲妻《ライトニング》回転銃か、ビリー小僧《・ザ・キッド》が愛用したという……」
撃鉄を引き起こす必要のないダブルアクション形式の拳銃だ。つまり、引き金を引くだけて弾丸を放てる。ビリー・ザ・キッドの早撃ちは、ライトニング銃を使っていたからという伝説もある。
「質問には答えた、今度は自分の問いに答えてもらおう。死人をどうする気だった?」
「しかも加重弾、刀のムラマサといい、おまえは……ギャアアッ……」
語尾に悲鳴と銃撃音が重なった。
「そんなことは訊《き》いていない」
狙いを定める銃口から硝煙を棚引かせ、学帽の下の双眸が冷徹に大蝙蝠を見据える。
「ギ、ギギッ、我を殺すか、殺せるか小僧っ」
「それも訊いていない」
またも銃弾が発射された。
「ギァッ、アアアッ、我は不死身だ、殺せはしないぞ」
「訊いていない」
発射された火箭が、起き上がろうとする蝙蝠の血肉を吹き飛ばす。
「アギャ、ギギギギッ、おまえ如《ごと》きの小僧には無理だ、本物の葛葉ライドウでさえ、我は斃《たお》せなかった」
「先代と戦ったことがあるというのか」
言葉と銃弾が同時に放たれる。
「……ギアァ……な、何ぃ……先代だと……」
「第十四代、葛葉ライドウ」
銃撃音とともに、再びの名乗りだった。
「アギッ、十四代だと……名を継いだのか、あの糞十三代目は滅しやがったか、ギギッ、こんな小僧にライドウを名乗らせるとは、ヤタガラスも焼きが廻ったものだな」
「訊いていない」
弾倉の残弾がすべて蝙蝠悪魔の軀《からだ》に吸い込まれ、盛大な爆煙を噴き上げる。
湧き上がる煙の中から青鈍色《あおにびいろ》の翼が瞬発した。
ライドウの学帽に向けて飛槍の速度で襲い来る。
「不死身だと言っただろうがァアアアアアア」
学帽の真正面だった。
並び光る牙がライドウの顔面に激突する。
その直前、学帽が飛んだ。風圧で弾《はじ》けたのではない、自らの意志で跳ねたのだ。しかし奇妙なことに、離れたはずの帽子は未《いま》だライドウの白い顔に冠されている!?
飛んだものは黒猫であった。
学帽に重なっていたのか、それとも黒外套のどこかに潜みつつ帽子を跳躍の足掛かりにしたのか、黒い毛並みが宙に前転しつつ飛翔し、大蝙蝠の両眼に爪を立てる。
「ギアッ」
牙からの悲鳴を頭上に、足先を前方へと滑らせながらライドウは身を屈めた。
「ギ……ァ……アギギギッ」
電光の素速さで腕を突き上げ、真下から蝙蝠の心臓を刀で貫いていた。
それでもなお、青鈍色《あおにびいろ》の翼が羽撃く。上昇によって胸元から血糊《ちのり》にまみれる刀身を引き抜く。揚力を増して飛び去ろうとする。
「ふ、不死身だ、ギッ、このアルカード様が滅びることはない」
『なんとまあ』
ライドウの足元で、黒猫が碧色《みどりいろ》の瞳を瞬《またた》かせながら言葉を発した。
『あれだけの弾を喰らい、両眼を潰《つぶ》され、心の臓を貫かれても、まだ動くかい』
「ギギッ、闇は我が胎内と同じ、探し出せるか」
大蝙蝠の姿が暗闇に溶ける。
ライドウは外套を捲り上げ《めくりあげ》、胸元の“管”に手を這《は》わせた。
『大きいのは喚《よ》ぶな』黒猫が鳴く。
「心配するなゴウト、小さい仲魔に来てもらう」
『そっちも好きではないが』
カートリッジループの小袋に収められている薄鈍色《うすにびいろ》の“管”のうち、すでに一本は、狗悪魔ドアマーズを召喚したために、蓋《ふた》が開かれている。封魔の印が浮き上がっている“管”は、残り二本、それがすなわち第十四代葛葉ライドウが使役する悪魔の数ということになる。
「——ジャックランタン!」
碧色《みどりいろ》の輝きの中から、南瓜頭《パンプキンヘッド》の小型悪魔が飛び立った。
「ヒーホーッ」
南瓜《かぼちゃ》そのものに彫り刻まれた丸い眼、三角の鼻、ギザキザの大口、円錐型の魔帽子《WITCH HAT》を被り、片手には橙色に発光する角灯《ランタン》を下げて、首から下の全身は西洋の子供寝着を思わせるマントに覆われている。
「ジャックランタン、探焔灯を」
「ヒッホー」角灯の橙色の光源《マントル》が光芒《こうぼう》される。
尾を曳く光の細長い筋が、打ち上げ花火のように連続して空に散る。
そのひとつが、暗き道の後方、逃げ去る青鈍色《あおにびいろ》の翼を捉えた。
「標識《マーキング》しろ」
「ヒホホーッ」
南瓜頭が己の標識灯の役割を察し、角灯を掲げながら暗路を飛び進む。
ライドウはその後を追って走り出した。
『迅《はや》いぞ、追いつけるか』足元を併走する黒猫ゴウトが鳴く。
「——追いつく」
『あの十三代目でも斃《たお》せなかった相手とは、ちとやっかいだな』
「——歴代のライドウたちを、その瞳で視て来たのだろう、あの蝙蝠と先代との対戦の時には一緒にはいなかったのか」
『十三代目は、孤陋《ころう》の妖闘人だったからな。常に単独を好み、俺の助言を聞くどころか、近くに寄ることさえ一苦労だった。ヤタガラスに報告することもなく、誰知らず闘った悪魔の数は、おそらく随一』
漂い飛ぶジャックランタンが横道へと流れ、ライドウも続いた。
「——あの蝙蝠——アルカードのことは何も聞いていないのか」
『ない。が、その名が気になる。よもやとは思うが、言葉綴《つづ》りが』
ジャックランタンが城壁さながらの塀を曲がる。
遅れずにライドウとゴウトも歩先を急角度で傾け、そして、急停止していた。
塀に寄り添うように、暗き影の中に、頭巾の女性が佇《たたず》んでいる。闇色の着物だ。顔は頭巾によって隠され、小鼻から下しか表情は窺《うかが》えない。
『な、なぜ、ここに?』
ゑがらっぽく鳴る黒猫の喉音に応唱して、ライドウは低く呟いた。
「——ヤタガラスの使者」
[0回]
PR