風が見えざる指揮棒≪タクト≫を振り、生き垣の木枝の歌唱を指揮する。
「ど~すんだよ~」
輪唱して、暗闇のどこかで骨角器≪こっかくき≫がカタカタと鳴った。
「おい~、ど~すんだ~」
否、鳴っているのは、まさしく骨そのものであった。
暗闇の奥から、鶸萌葱色≪ひわもえぎいろ≫の髑髏≪しゃれこうべ≫——ガシャドクロ——が姿を見せる。上半身だけの骨格躰≪こっかくたい≫だ。風に押されるように板垣ほどの高さを浮遊しつつ、繰り返し舌打ちをする。
「ど~すんだって、おい~、おまえも何か言ってやれよ~」
ガシャドクロの黒々とした眼窩≪がんか≫が斜め下を見やった。
併走して、褪紅色≪たいこういろ≫の頭巾が地を進んでいる。白粉≪おしろい≫を厚塗りしたかのような顔、同様の四肢——ネビロス——のその動きは、老人の歩き方そのものながらも、速度は徒競走の選手以上だ。
ガシャドクロは返事のないネビロスに気短に舌打ちをして、闇の真後ろへと眼窩を振り向けだ。
「ど~すんだよ、その、その女ぁ~」
板垣よりも高く、喪服姿の芙代子が浮かんでいる。
風と空気の布団に横たわっているかのようだ。が、よくよく凝視すれば、喪服からは、青鈍色≪あおにびいろ≫の——飛膜じみた——翼が伸びていることが察せられる。
もっとも、察すべき人影など、暗く厚い雲の下にひとつとして見当たらなかったが。
「生きた女ぁ~連れて来いとは命令されてね~ぞ~」
芙代子の真下の道には、その父親が、氷の上を滑るかのように歩んでいる。
「いいか~、命令されたのは、おれらが集めるのは~、死人≪しびと≫だけだと~」
暗渠≪あんきょ≫然≪ぜん≫とした夜の通りを、喪服と異形の影たちが進んでいく。
「聞いてんのかよ、おい~」
「ギッ」
喪服から伸びる翼が笑った。
「ギギギッ、すぐに死人となる、何も問題はない」
「待てよおい、そういうのアリかよ、そこらを歩いてる人間をブッ殺して"ハイ死体ですよ"ってアリなのかよ~」
「死人の血は不味≪まず≫い、ギッ、たまには生き血を啜≪すす≫りたい」
「だからアリなのかよ、そういうの~」
ガシャドクロが手先の鉤爪≪かぎづめ≫で頭骨を掻≪か≫く。
「おまえ~、仲魔≪なかま≫の"和"ってもんを考えてるのかよ。悪魔だって協調性は大事だろ、みんなで仲良く愉≪たの≫しく……血肉絞りも、内臓引き摺り出しも、頭蓋≪ずがい≫叩き割りも……人間ブッ殺しは和気藹々≪わきあいあい≫と、だけど召喚命令には従って、なぁ、これ基本だろ。そりゃおれだって切断しまくりたいよ。特に親子とか恋人とかよ、こう、連れの首がポーンッて高く吹き飛んでよ、真横にいる片割れがキョトンとした顔のあとに雑巾を引き裂くみたいな悲鳴を迸≪ほとばし≫らせちゃったりした日にゃよ、ああ生きててよかった、心臓はないけど心が暖まる。そうなるよ。そうしたいよ。だけどよ、まず召喚された使番≪つかいばん≫としての役目があるだろうが!?それ破って抜け駆けしてよ、アリなのか、そういうのアリで」
褪紅色≪たいこういろ≫の布地がガシャドクロの眼前で大きく躍った。
「な、なんだ~、どうしたネビロス?」
「人間が」白粉もどきの顔が前方を見やる。
ガシャドクロは小首を傾げた。
道は石油を流したかのように闇に融≪と≫け、動くものなど何も見当たらない。
「人間~?」
骸骨の真っ黒な眼窩が、真夜中の深海で揺れる藻を思わせる影を捉えた。
「酔っ払いか~、道路のど真ん中で突っ立ってよ~、かまうかよ、どうせ人間にはおれらは見えねぇ」
骨の腕が振り上げられていた。その先端は鋭い鉤爪だ。鶸萌葱色≪ひわもえぎいろ≫の流線を曳≪ひ≫き、上半身だけの髑髏≪しゃれこうべ≫が突進する。
「おれだって切り刻みたいよ、切り刻むよ、アリなんだろ、切断アリなんだよな~」
刃文≪じんもん≫の閃光が夜気を裂く。
断截≪だんせつ≫音が響いた。
投げ捨てられたハエ取り紙のように、斬られた片腕がきりもみしながら高々と舞う。
「切断アリ~っ」
ガシャドクロが歯茎のない前歯をカタカタと嚙み合わせた。
「って言ったけどよ、違うだろ、違うよ~、おれが切断されてどうすんだよっ」
片腕を失った骸骨すぐ前方で、漆黒の外套≪がいとう≫が翻≪ひるがえ≫る。
「て、てめえ、人間っ、おれが見えるのかよ~」
歯茎のない口に向けて瞬発される白刃の輝きが、その解答であった。
口内を一直線に貫かれ、切尖が髑髏の後頭部から突き出る。ガシャドクロは眼窩を蠢≪うごめ≫かせ、口にくわえる形となった刀の波打つ鎬を見つめた。刃文が上向き、棟≪みね≫は下に向けられている。
嫌な予感がした。
「お、おい~」
このまま刀が振り上げられれば、上顎≪うわあご≫から頭蓋が半分に切断されてしまう。
「ちょっと待て、人間っ、おれが見えることはよくわかっ」
刃文の輝きが急上昇した。
頭骨を真っ二つに割られ、ガシャドクロが怨嗟≪えんさ≫の呻≪うめ≫きを漏らす。
「ま、待でっで言っだだろうがぁ、あ゛あ゛、待でっで~」
刀は待たなかった。
上段から今度は急降下し、骸骨全体を縦一文字に斬り裂く。刃文の閃光は続けざまに横走り、ガシャドクロの骨格躰を完全に粉砕してしまっていた。
地面にガラガラと頽≪くずお≫れながらも、かろうじて形状を保つ骨の下顎部分が、なおも言葉を紡≪つむ≫ぐ。
「な、なんだ、躯≪からだ≫が再生でぎねぇ、でめえ、ぞれっ、だだの刀でねぇな~」
「——霧螺魔叉≪ムラマサ≫」
白刃を握る漆黒≪しっこく≫の外套が、闇の中からゆっくりと歩み出た。
「——村正≪むらまさ≫が村正を伐≪う≫つべく打った太刀≪たち≫だ——不吉と呪詛≪じゅそ≫を断つ」
「徳川呪詛の妖刀を斬るっでのが、でめえ、な、何者っ、あぎゃぎゃ」
ゆったりとした外套から伸びる黒く長い下裾着≪ズボン≫、その先の黒色の革靴が、地面で呻く骨の下顎を容赦なく踏み潰す。
「——葛葉≪くずのは≫——」
自らの靴裏に向けて漆黒の外套が名乗った。
名を問うた相手は、すでに原形を留めず、濁音混じりの声が戻ることもない。それでも返答したのは、漆黒の男の律儀≪りちぎ≫さか、はたまた、馬鹿と形容されるほどの真正直者であるためか。
「——葛葉ライドウ」
あるいは、純粋に戦≪たたか≫いの前の名乗りであったのか。
「ヤタガラスの命≪めい≫により——悪しき魔を伐ち——帝都守護の任に就≪つ≫く」[0回] PR
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